大阪高等裁判所 平成元年(行コ)26号 判決 1991年9月26日
京都市中京区壬生松原町六番地
控訴人
三輪喜一
右訴訟代理人弁護士
森川明
同
村山晃
京都市中京区柳馬場通二条下ル等持寺町一五番地
被控訴人
中京税務署長 西垣守雄
右指定代理人
杉浦三智夫
同
板垣高好
同
加賀八郎
同
西口伸彦
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人が原判決別表1記載のとおり昭和五九年一月一一日付けでなした控訴人の昭和五五年分、昭和五六年分及び昭和五七年分の所得税の各更正処分(ただし、異議決定、裁決により一部取消後のもの)並びに各過少申告加算税賦課決定処分のうち、総所得金額が昭和五五年分一五五万三二九〇円、昭和五六年一二二万九七九四円、昭和五七年分一〇六万八二二八円をそれぞれ超える部分をいずれも取り消す。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを六分し、その五を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が原判決別表1記載のとおり昭和五九年一月一一日付けでなした控訴人の昭和五五年分、昭和五六年分及び昭和五七年分(以下「本件係争各年分」という。)所得税の各更正処分(ただし、異議決定、裁決により一部取消後のもの)のうち、同表記載の確定申告欄の各総所得金額を超える部分並びに各過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、原判決四枚目表一〇行目の「名名」を「数名」に、同八枚目表七行目の「立会」を「立会人」に各改めるほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
第三証拠
原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録の各記載を引用する。
理由
当裁判所は控訴人の本訴請求は主文第二項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、次のとおり付加訂正するほかは原判決理由第一(当事者間に争いのない事実)、第二(本件各処分の手続摘適法性)、第三(控訴人の所得金額)の説示と同一であるからこれを引用する。
一 原判決一四枚目裏五行目の「第二五」の前に「第九ないし第一一号証」を加え、「項第二七号証」を「甲第二八号証」に改め、同末行の「証人」から同一五枚目表一行目の「乙第一四号証」までを削り、同一〇行目の「証人」の前に「原審及び当審」を加え、一一行目の「同隅田一善」を「原審証人隅田一善、当審証人三輪きぬ、同三輪千代子」に改め、同末行の「原告本人尋問」の前に「原審及び当審における」を加える。
二 同裏二行目から原判決一七枚目裏一行目までを次のとおり改める。
1 もともと控訴人(昭和一三年一月生まれ)と征司(昭和一九年三月一二日生まれ)の亡父三輪三郎(以下「亡三郎」という。)は、現在の控訴人の肩書住所地において「三輪工芸」という商号で彩色(手描友禅)業を営んでいたが、控訴人は昭和三〇年ころから、征司は昭和四〇年ころからそれぞれ亡三郎の許で同居してその仕事を手伝い、亡三郎は、昭和四五年ころから雅染色と取引をするようになった。征司は、同年ころ妻帯して別所し、昭和四七年七月に現住所の京都市右京区梅津中村町一七番地に住居を定め、別居後は通勤していた。
ところで、三名の仕事分担は、全員彩色加工(友禅、ろうけつ)に従事しているものの、亡三郎と控訴人はその全般ができるが、征司はろう伏せ(柄の上に蝋を伏せる。)を主とし、仕事の都合によっては簡単なせき出し(ろう伏せの逆で、柄の縁を蝋で囲んで留める。)しかしないで、外交(受注、納品、集金等)は主として征司がしていた(控訴人は、昭和三八年に受けた交通自己による後遺障害により外回りの業務には従事できなくなっていた。)なお、右事業収入の管理、配分は、亡三郎がすべて掌理していた(ただし、雅染色からの受取小切手の現金化は、その妻きぬが亡三郎名義の預金口座にて行っていた。)。
2 亡三郎が昭和五二年八月一六日に死亡したが、相続人間では暖簾分けを含む遺産分割協議はなく、その事業は控訴人及び征司の兄弟で引き継ぎ共に協力して運営することとなり、一応営業所(作業場)の所在地に居住する長男である控訴人の名義で取引をすることとし、控訴人は、同年九月ころ、自己の住所及び電話番号入りの「三輪喜一」と刻んだゴム印(以下「控訴人のゴム印」という。)を作り、領収書等の発行にこれを使用するようになったが、取引先との関係では従来どおり「三輪工芸」又は単に「三輪」の呼称を使用して取引をし(乙第四号証、第六証に「三輪工芸三輪喜一」との記載が認められるけれども、いずれも本件税務調査開始後の作成に係る書面であって、前記のごとく「三輪工芸」又は単に「三輪」と記載された各種書面と対比すると、乙第四号証中の記載は雅染色の帳簿の原本自体にその記載がなされていたかも疑わしく、右「三輪工芸三輪喜一」との記載をもって、当時からその呼称を専用していたとは認め難い。)両名の仕事の分担を従来どおりとするものの、右事業収入の管理、配分は、母きぬがすべて掌理し、両名の仕事量に応じて各人の取分を配分していたが、征司は、昭和五三年一二月一八日、自己の印章(三輪と刻んだ小さい楕円形の印、以下「征司の印」という。)を使用して京都信用金庫壬生支店に控訴人名義の普通預金口座を開設し、その後の取引上の小切手等の現金化は、征司又は母きぬ(その依頼によっては控訴人の妻千代子)が同支店に出向いて行っていた。
3 ところで、征司は、昭和五四年五月ころ、町内会役員に就任したことから、作業場を自宅に移し、控訴人方作業場に通うことを止め、自宅で彩色業を行うようになった。
そのころの主要な取引先は雅染色であり、同社からの注文はいわゆるろう伏せが多かったがため、その後の雅染色の注文から工賃の決済及び配分の状況は、次のとおりであった。
(一) 雅染色からの仕事の注文は、征司が自宅の電話等で受け(控訴人が受けることは有り得ない。)、雅染色からの生地等の材料の受取も控訴人がなく、征司のみが行っていた。
(二) その後雅染色から受注した仕事のうち、征司自らが行うか、それとも控訴人に行わせるかは、全て征司の采配によって決められ、控訴人へ回される仕事の材料は更に控訴人宅へ征司より搬入される(雅染色からの注文の仕事はろう伏せの方が多かったため、控訴人へ回される仕事量は征司より多くたかった。)が、その都度、控訴人の妻が生地番号を加工台帳(甲第一四号証の一ないし一九、第一五号証の一ないし一三)に記載した。
(三) その後、征司は、控訴人が彩色加工した品物を受け取り(この時右加工代帳に征司がその工賃額を記入していた。)、これに自らの加工品を加え、雅染色に一括納入したが、その納品の都度、加工納品書(乙第二一号証の一ないし一五、第二二号証の一ないし五一、第二三号証の一ないし二八、ただし、仕入伝票を除く。)及び加工請求書(乙第一七号証の一ないし四七一、ただし、毎月一八日付け請求書を除く。)を作成して交付し、これを受けて、雅染色は、仕入帳あるいは経費帳(乙第四号証中の帳簿)に当日の取引金額を記載していた。
(四) そして、征司は、毎月一八日締めで一か月間の加工請求書を纏めた請求書(乙第一七号証のうち毎月一八日付け請求書)を作成したうえ、翌月五日(ただし、一二月分は同月三〇日、いずれも約定支払日)、雅染色に対し加工賃の支払請求をなし、雅染色は、同日ころ、支払明細書(甲第五ないし七号証の各一ないし一二)を作成し、加工代金請求分から必要控除額を差し引いた差引残額を額面額とする小切手を征司に振り出し交付して支払った。その際、征司が雅染色に交付した領収書(乙第八ないし一三号証)は、征司が領収書綴りを購入し、その綴り全部にまとめて控訴人のゴム印を押捺しておき、雅染色から小切手の交付を受ける度に日付、金額を記入し、金額に応じた印紙を貼付し、征司のみ使用の三輪と刻んだ小さい楕円形の印章(征司の印とは必ずも一致しない。)を押捺してきたものである。
(五) 征司は、昭和五六年一〇月分までは、雅染色から受け取った小切手及び支払明細書を母きぬに一旦手渡し、同女は、自ら又は征司(時に控訴人の妻)に依頼して、前記控訴人名義の普通預金口座に入金して現金化した上で、右支払明細書に基づき、加工代金請求分中から、雅染色からの工賃原価をそのままに征司の仕事量に応じた請求額を算出し、まず納品書代等の経費、地直し代等は控訴人及び征司の折半で負担させ、雅会及び雅友会の各会費は征司が会員として参加するのであるから征司にその全額を負担させることとし、しかる後に、他には何も控除することなく征司の右請求額から右各負担額を控除した残額全額を征司に支給し、その余の残額を控訴人に手渡し、その結果を仕事帳(甲第一二号証の一ないし三二)に記載したうえ、征司に対しては右記載内容のうち同人に関する部分のみを転写したメモ(甲第一三号証の一ないし一九)を交付しており、決して控訴人に征司の仕事について通常の利益(中間利益、手数料等)が残るような配分はしていない。
しかし、征司は、昭和五五年度以降自己の取引をノート(甲第二一号証の一ないし一五、第二二号証の一ないし五一、第二三号証の一ないし二八)に取引日毎に生地番号、数量、単価等を記載してきていたが、昭和五六年一一月分からは、雅染色から受注した仕事のうち控訴人に配分した分については、右ノートに「外兄」もしくは単に「外」と記載して区分表示をし、雅染色から受け取った小切手を母きぬに手渡すことを止め、同月分は京都信用金庫壬生支店の自己名義の普通預金口座に入金し、昭和五七年一月から同年三月昭和五七年四月分以降は京都中央信用金庫の自己名義の総合預金口座に入金したうえそれぞれ現金化し、右区分表示に基づき各月の控訴人の工賃額を纏めたうえ、前同様の方法により控訴人の負担額を控除した残額を受領した工賃額から控訴人に支給し、その後の残額を征司が取得するようになった。
なお、京都信用金庫壬生支店の控訴人名義の普通預金口座の出入金状況は、原判決別表5の1ないし3記載のとおりであるが、その取引先名欄中の雅染色以外の取引先のうち広瀬織物株式会社は昭和五四年から、森康株式会社、有限会社近藤伊染工場は昭和五五年から、多田友株式会社、永山稔は昭和五七年からの控訴人独自の取引先であるところ、右各取引先からの受取小切手が同口座に入金されるようになったのは、昭和五六年度中には広瀬織物株式会社が四回(同社は昭和五五年度に小切手四通、昭和五六年度に小切手七通を振り出している。)に過ぎず、その余の取引先については征司が雅染色からの受取小切手を同口座に入金しなくたった昭和五六年一二月以降であって、これらの出し入れは控訴人夫婦が行っていた。
また、京都信用金庫壬生支店の征司名義の普通預金口座に昭和五五年一月から同年六月までの間に四回にわたり株式会社三景工芸から振込入金されているが、同社は征司独自の取引先である。
(六) ところで、雅染色から受領した工賃の控訴人と征司とへの配分に関する前記帳簿等の資料を整理すると、本判決添付別紙「雅染色株式会社との取引及び控訴人の計算について」(以下「計算表」という。)のとおりであるが、甲第六号証(枝番号を含む。)、乙第四号証中回答欄はいずれ雅染色の作成に係るものであり、甲第一二号証(枝番号を含む。)のうち征司加工代及び征司への支給額の記載部分(計算表中、昭和55、56年分の<4>征司請求額欄)は直接の外交担当者である征司が自己の取引毎の記録(甲第二一、二二号証〔各枝番号を含む〕)に基づき申し出た金額であり、甲第八号証中征司欄(計算表中<11>欄)は征司自らが支払明細メモと共に受領した配分額と同一の記載であるから、正確なものというべく、結局控訴人が雅染色からの工賃のうち配分取得した金額は、計算表中<2>欄の合計額から<11>の合計額を控除した残額すなわち昭和五五年分は一六六万三三二四円、昭和五六年分は六一万八八八六円、昭和五七年分は三五万四四〇二円となる。
4 征司は、昭和五四年五月ころまですなわち作業場を自宅に移して自宅で彩色業を営むようになるまでは、控訴人の雇人として給与取得者であったが、昭和五五年度以降は控訴人から独立した別個の事業主となり、取得税の確定申告手続をしてきた。しかも、本件係争各年度分の確定申告書(甲第九ないし一一号証)の各年度における営業収入金額は計算表中<11>欄の合計欄記載の金額と一致し、雅染色との営業収入しか計上していない(してみれば、雅染色以外にも取引がありながらも、これら取引先との営業収入につき申告漏れがあることは明らかである。)。
以上の事実が認められ、乙第四号証の記載、原審証人隅田一善及びこれより成立の認められる乙第一四号証の記載並びに原、当審における証人三輪征司の証言及び控訴人本人尋問の結果中、右認定に抵触する部分は右認定に供した前掲その余の各証拠に対して採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 同じく一七枚目裏二行目の「雅染色」から七行目末尾までを「征司が自宅に作業場を設けて自宅で彩色業を営むようになった昭和五四年五月ころからは、控訴人と征司とは、それぞれ事業主として、各自の技術と仕事量に応じて共に協力して、雅染色からの注文による仕事を区分して各自の作業場で完成したうえ一括納入し、雅染色から受領する毎月の工賃をその都度各自の出来高に応じて配分取得して来たものであって、征司は控訴人の雇人ないし外注先(下請け)であるとは到底認めることができず、両名とも雅染色との取引では共同して事業主体であったと認めるのが相当である。したがって、前示(本判決前項3(六))とおり控訴人が雅染色からの工賃のうち分配取得した金額すなわち昭和五五年分は一六六万三三二四円、昭和五六年分は六一万八八八六円、昭和五七年分は三五万四四〇二円は控訴人の雅染色との営業収入であると認められ、結局、控訴人の本件係争各年分の収入金額は、争いのないその他の取引先からの収入金額(原判決別表3の雅染色以外の売上先欄の金額)に右雅染色との取引の営業収入額を加算した額すなわち昭和五五年分三〇六万三〇二四円、昭和五六年分二四八万三六八六円、昭和五七年分二二二万八三〇二円となる。」に改める。
四 同一一行目の「甲第九ないし第一一号証」を「乙第三六ないし第三八号証の各一・二」に改め、原判決一八枚目裏末行の「原告」の次に「及び征司の両名」を加え、同一九枚目表二行目から同裏八行目までを削除する。
五 同裏末行の「甲第九ないし第一一号証」を「乙第三六ないし第三八号証の各一・二」に改める。
六 同二〇枚目表三、四行目の「収入金額」の次に「(昭和五五年分三〇六万三〇二四円、昭和五六年分二四八万三六八六円、昭和五七年分二二二万八三〇二円)」を加え、同五行目の「別表2」から八行目末尾までを「昭和五五年分が一五五万三二九〇円、昭和五六年分が一二二万九七九四円、昭和五七年分が一〇六万八二二八円となり、本件各処分(異議決定、裁決により一部取消後のもの)はいずれも控訴人の本件各年分の事業所得金額金額を上回るものであるから、これを過大に認定した違法があるというべきである。」に改める。
よって、控訴人の本訴請求は主文第二項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきものであるから、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 鐘尾彰文 裁判官 村岡泰行)
雅染色株式会社との取引及び控訴人の計算について
○昭和55年分
<省略>
雅染色株式会社との取引及び控訴人の計算について
○昭和56年分
<省略>
雅染色株式会社との取引及び控訴人の計算について
○昭和57年分
<省略>